翻訳と辞書
Words near each other
・ マリア・バリージャ
・ マリア・バルバラ・バッハ
・ マリア・バルベルデ
・ マリア・バレア
・ マリア・バンフォード
・ マリア・バーヨ
・ マリア・パパソティリウ
・ マリア・パパソティリウス
・ マリア・パリアコワ
・ マリア・パヴロヴナ
マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃)
・ マリア・パヴロヴナ (ロシア大公妃)
・ マリア・ヒタ
・ マリア・ヒル
・ マリア・ビアステッド
・ マリア・ビトムスカ
・ マリア・ピァ・アーモニア
・ マリア・ピア・デ・サボイア
・ マリア・ピア橋
・ マリア・ピティロ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃) : ミニ英和和英辞書
マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃)[ひ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大公 : [たいこう]
 (n) archduke
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
: [ひ]
 【名詞】 1. princess 2. consort 

マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃) : ウィキペディア日本語版
マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃)[ひ]

マリア・パヴロヴナ(, 1786年2月16日 - 1859年6月23日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒの妃。ロシア皇帝パーヴェル1世の三女、母は皇后マリア・フョードロヴナロシア大公女
== 生涯 ==
サンクトペテルブルクで生まれ、パヴロフスクで育った。幼い頃に種痘を受け、軽度の天然痘を発症したため容姿を損ない、可愛らしい少女ではないと思われていた。祖母エカチェリーナ2世は、マリアのピアノの才能を認めながらも、マリアが男の子に生まれれば良かったと言っていた。マリアの音楽教師はイタリアの作曲家ジュゼッペ・サルティだった。1804年、マリアはザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒと結婚し、ヴァイマルへ移る前にサンクトペテルブルクで9か月暮らした。
マリアは芸術と同じくらい科学に興味をもち、どちらかといえば文化的に後進国だとみられていたザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国に、豊かな文化財産をもたらした。マリアは生涯を通じてヴァシーリー・ジュコーフスキーと文通し、フリードリヒ・フォン・シラーは彼女に遺作となった詩を捧げている。彼女はイェーナ大学に10の学科をもうけ、アレクサンダー・フォン・フンボルトを招聘した。晩年にはフランツ・リストを宮廷に招いており、1850年8月にはリスト指揮でリヒャルト・ワーグナーの『ローエングリン』の初演がヴァイマルで行われた。1853年にカール・フリードリヒと死別すると、公的な場から退いた。ロシア訪問は、1855年の甥アレクサンドル2世の戴冠式に出席するための旅行が最後となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.